1989年の6月4日、中国北京市で天安門事件が起こった。当時は、縁あって父が身元保証人をしていた中国人留学生が帰国したばかりだったこともあって、食い入るようにニュースを見た。留学生は、中国が改革開放に路線転換して、初めての海外留学試験を勝ち抜き、新婚の妻を置いての単身来日だった。文革時代に大学院生だった彼は、下放されて地方で結婚までしていたが、留学生選抜試験に挑戦し、合格した。留学には若干歳をとっていたが、同時に来日した留学生たちも、多くは長年留学の機会から遠ざけられていた人たちだった。
そのころ中国では地方から都市部への移住が禁じられており、農家に生まれた彼は都会生活を夢見て、当初は軍隊に入ろうとしたが、身長が足りずに学問の道をめざすことにした。留学生試験は長年実施されてなかっただけに、全国から幅広い年齢が集まる激戦だったが、幸い彼は上位で合格を果たし、日本の大学院で博士課程に進んだ。
彼は、来日直後こそ国家の未来と星雲の志を語る優等生だったが、すぐに地を出して屈託なく笑うようになり、やがて同世代の私よりアイドルに詳しい現代青年になった。また、当初は一緒に来日が許されなかった奥さんも、1年ほど過ぎて合流。こちらで子供も生まれ、私の子が使ったベビーベッドをお下がりで使うことになった。そして無事目的の博士号だけでなく、中国では手の出ない自分用のパソコンとバイクまで手にして、順風満帆の帰国を果たした。問題はたったひとつ、日本のデパートにすっかり魅了された奥さんが帰りたがらなかったことだけだった。そんなふうに人が行き来し、中国も変わるのだなと思っていた頃に、天安門事件は起きた。
当時、日本のメディアは不穏な空気を伝えはするものの、具体的な犠牲者等にはあまり触れなかった。それを知ったのは、恥ずかしい話だがインターネットを使うようになってからのことだ。だから私の世代では、未だに男性が1人で戦車の前に立ちはだかった「だけ」の事件だと思い込んでる人も多い、当時の私も、騒動が留学生の帰省先まで広がるのかどうか、本人は不安がっていないだろうかだけが気になったが、父は、やはり戦争を知ってる世代だからなのだろう、珍しく家族会議を開いて、もし彼が助けを求めるなら家で受け入れると宣言した。
ある国の世論で、特定の外国に対する反感が高まることはあり得る。大抵の場合、だが反感を口にするのはその国や国民と縁のない人々だ。自分たちの不遇や不運が努力不足ではなく外国のせいだというのは、耳に心地よい。そして、大抵の場合攻撃対象は外国人ではなく、外国と関係のある隣人だ。自由主義国に生きる我々は、法に反しない限り誰とでも自由につきあうことができる。もし身の回りに、反日機運の高まってる国の知り合いがいるなら、平和な日本では想像できない目に合う可能性がある。別に政治的発言などしなくてもいいし、できる範囲でいいので、応援してあげてほしいと思う。
さて、我々がかの留学生の身をあんじていたところで、本人から手紙が届いた。(明日に続く)
