パクチー

パクチーが嫌いだ。生涯に数回した口にしたことがなく、そのどれもが食べた時のシチュエーションまで覚えているほどだ。年をとるにつれて味覚も変わってきたが、パクチーだけは未だにだめである。この味が好きだという人が、どうして我慢できるのかわからないくらいだが、この違いは遺伝子レベルのものだそうだ。

パクチー嫌いの科学的な説明をそのまま書くと、「人間が持つ嗅覚受容体遺伝子のひとつ『OR6A2』に突然変異を持っているため、不飽和アルデヒドに感受性があり、パクチーが好きな人が感じる爽やかな風味の芳香化学物質を嗅ぎ分けることができず、カメムシ臭や石鹸臭、辛味を感じてしまう」ということらしい。その比率は約15%だそうだ。
つまり他の人はパクチーに、全く違う味を感じているのだという。それで納得した。パクチー忌避派にとっては、見た目や匂いでは他の葉物と区別がつかず、口に入れるまではほとんど気にならないものだけに、不意打ちダメージがきつい。少数派だそうだから強くは言えないが、飲食業などではパクチー忌避派は遺伝子レベルということが、周知されなければまずいと思う。でないと初めて口にした客と、大喧嘩になるかもしれない。

見た目はヘルシーだとは思う

Easy to Love

コール・ポーター(1981-1964)の作品。歌はエラ・フィッツジェラルド。

3月以来のパブリック・ドメイン名曲集である。好きな曲、知ってる曲は尽きてしまった感があるので、知らない曲だが、今聞いても「いい感じの曲」ということで。アーチストは、歌声になじみのあるエラ・フィッツジェラルドを選んでみた。チャーリー・パーカーの演奏動画もあったが、録音が古すぎた。結局コール・ポーターに何度目かのご登場を願うことになってしまった。
エラ・フィッツジェラルドといえば、スキャットのアドリブを入れることで、モダンジャズのボーカルのスタイルを確立させた人。ただし、この曲ではアドリブがない。スローな曲だからかもしれないが、楽器ならスローでもアドリブが入るので、まだスタイルができてなかった頃の録音かもしれない。

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ただ珍しくおもしろく、月日の経つのも夢のうち

童謡「浦島太郎」の一節である。若い頃にちょっと良いことをしたが、その後調子に乗って浮ついた暮らしをしたあげく、やめろといわれてることをやって、気がついたら白髪のもうろく爺い…。なんだか耳の痛いような歌だが。
もし浦島が最後まで玉手箱を開けなければどうなっただろう。住んでいた村も知人も何一つ残っていないのは心細いが、肉体が若いままならなんとか順応して暮らしていけるだろう。だが、晩年になるにつれて「あの時に玉手箱を開けていたら…」という未練が大きくなる。それなら最後に開ければいいだろうと思う人は年寄というものを知らない。それまで続けてきたことに大変革を起こす決断力が衰えているので、これで最後という決断は到底できないのだ。

開けてはいけない箱といえば、ギリシャ神話のパンドラの箱。開けると、中からさまざまな災厄が飛び出してくるが、最後に希望が残る。いい話ふうだが、やらかしてしまった災厄の後始末もせず、あやふやな希望にすがって生きるというのも痛々しい話だ。童話、神話はもともと教訓話なので、こどもだけでなく、大人になってからでも真剣に読む価値があるくらいだが、残念なことに大抵の場合は手遅れだ。おそらく書いた人も、手遅れになってから気がついて、せめて書き残そうとしたのではないだろう。

箱といえばもうひとつ、舌切り雀の大きなつづらと小さなつづらの話。これは好奇心に負けた話ではなく、選択の話である。自分ならどちらを選ぶか。私は欲張り爺さんではあるが、小心かつ疑り深くもあるので、おそらく小さいつづらを選ぶだろう。で、中はなにかといえば、もちろんお化けである。「大きい方にはお化けが入ってる」のではなく、実は「あさましい心の持ち主があけるとお化けが出てくる」という教訓だからである。

今日は私の誕生日。何歳になったかは秘密だ。この歳になると、年齢など恥部にすぎない。

箱のモンスター、ミミック。実は神話などには登場しない、ゲーム時代になってから生まれたものらしい。