手裏剣道

手裏剣というのは不思議な道具だ。古武道の手裏剣術で使う手裏剣は、鉄の棒の先端を尖らせたもので、数本持ってナイフ投げのように使う。忍者が使う十字手裏剣や車剣などは有名だが、あんなにいろいろな方向に刃がついたものは、真っ先に自分が怪我するような気がする。現物が残っているので存在を否定はできないものの、あれを安全に持ち運べて、いざというときにすぐ取り出せるケースが思いつかない。あれの技を伝えてる人はいないし、実際は放り投げないで、違う使い方をしたのではないかという意見もある。

ともあれ忍者の手裏剣は、世界的にも、あまりにも有名になった。考古学者が「実は穴を掘る道具だった」などと言い出す前に、なんとかあれを使う競技を開発しなければ、世界に対して申し訳がたたないのではないかと思う。
そこで手裏剣道という競技を考えた。これは人と向きあうのではなく、弓道やダーツのような的当て競技である。
まず、図のように、五尺四方程度の板に、「臨兵闘者皆陣列在前」(兵に臨んで闘う者は、皆陣列の前にあれ)の九文字を書いて立てかける。これは密教の呪文といわれていて、室町時代あたりに、戦場に出る武士の間で流行ったものらしい。
術者は的から二間ほどの距離を置いて立ち、十字手裏剣や車剣を放つ。当たった場所の文字を、さらに天と地に分け、判定者が「兵の地なり」「在の天なり」というように宣言をする。中でも「者」、「皆」、「陣」の三文字は、人の正中線にあたるので、点数が高く、さらに「皆」の真ん中に当たればその時点で勝ち。「皆中(かいちゅう)、以って上となす」という訳である。

また、普通の武道と違って忍者の技なので、礼に始まり礼に終わるわけではない。刀で斬りかかると見せかけて投げたり、目潰しと一緒に放るというような、卑怯な投げ方が高く評価される。照明を落とした中で投げる「闇討ち」なども欠かせないだろう。

これをなんとか東京オリンピックまでにでっち上げて、海外からの観光客に見せられたらとおもうのだが。

思い通りにいくこと、いかないこと

中学・高校の同期生に秀才がいて、現役で東大に合格し、そのまま主席で法学部を卒業。大蔵省に入ったが、数年で自●してしまった。クラスが違うので交際は無かったが、当時は珍しい教育熱心な親の下で、勉強三昧だったらしい。まだ結婚前の下っ端だから、国を動かしたり、政治家や経済人と結託してうまい汁を吸ったりという醍醐味も無かったはずだ。あったら自●はしてないだろう。努力して、人もうらやむようなものを手に入れたが、実際は、人生の苦しいところだけ味わってたのかもしれない。

5歳下の従兄弟の友人は高校の吹奏楽部でアルトサックスをやってたが、ジャズに開眼。明けても暮れてもサックスの練習ばかりするようになった。心配する親と約束して、大学合格を条件に上京。一層ジャズに傾注した。山下洋輔のコンサートに乱入して吹きまくったという伝説まで作り、卒業後は案の定、バークレー音楽院に行ってしまった。
卒業後はそのままボストンに残り、昼はスーパーの店員、夜はクラブに出演している。日本人に言わせれば、彼はジャズメンではなくスーパーの店員かもしれない。また、CDは出したかどうか聞かれるそうだが、そんなもの出さなくても、アメリカでは彼はジャズメンそのもの。毎晩のように一流プレイヤーと共演している、アルトサックス・プレイヤーなのだ。
バークレー時代に一度日本に戻ってきた時、どうしても一緒にセッションしてくれと言われた。そのあげく、日本に戻ってくるとみんな目が死んでるだの、我々の演奏についてこんなにも下手になってしまうのかなどと、さんざん愚痴ったあげく帰っていった。
その日のことを思い出すと顔から火が出るが、別に我々が下手になったわけではなく、元からそんなものだったのだ。バークレーで磨いた腕と比べられても困るし、本人にとっては人生の岐路になった場所ということで、記憶が美化されてしまっていたに違いない。ともあれ高校生の時は実直な秀才タイプだったが、その頃には、ところかまわず思ったことを口にする、性格まで奔放なジャズメンそのものになっていた。

人生は思い通りにならないことばかりな上、思い通りになっても幸せとは限らないが、思いもよらない面白さに出くわすこともあるようだ。

北海道の贈答文化

前回のコメントに、京都生まれの人に接待の料理をけなされたという話があったが、以前の北海道民は、中元歳暮の時期に、よく同じような経験をした。父は京都に荒巻を贈ったら、これは肉体労働者の食べ物と言われたと憤慨していた。ただ、何も贈るものがなかったのだ。銘菓・名物といっても、京都などにははるかに及ばない。内心、小麦粉と砂糖を丸めて、丁寧に包装しただけのものじゃないか思ったが、創業うん百年の老舗と言われるとぐうの音も出ない。農産物、海産物はクール便がなかったし、送っても何こそ言われるかという時代だった。

それまでも親戚や友人には、国鉄のチッキ(カタカナでいいのかな?)で、じゃがいもを箱で送ったりしていたが、私が成人するころ、徐々にそれが認知されてきた。こちらでいうところの、北海道名産品の本州送りである。(本州だけというわけではない。道外という意味だが、九州、四国の方にはちょっと失礼な言い方だ)
やがて北海道からの生鮮食品は豪華贈答品とみなされるようになった。これはちょうど社会人になり、交際が広がった時期に大助かりだった。同じような思いをしていた同世代の間で、「じゃがいもでも喜んでくれた」「蟹だと大げさにうけとられすぎる」「沖縄にはアスパラがいい」「手土産にはマルセイバターサンドだ」という、情報交換も行われた。

北海道と言っても、札幌では生鮮品のアドバンテージなどなにもないのだが、贈答品の暗黒時代を知ってる人が、頑張ってありとあらゆるものを送ったのだろう。北海道産直品は贈答品の定番になった。生産地の努力だけでなく、せっせと送った一般の道民のおかげも大きいと思う。前の世代の人が、かつて鼻の先で笑われた相手から、感謝感激の礼状が来るようになった時、どれだけ痛快に感じたことか。
以前会った人が、「本州から客が来るが、蟹を食べさせてもらえものと思って、疑いもしない。札幌は別に安いわけじゃないのに」とボヤいていた。確かにそういう部分はあるが、その昔の、何を贈っても鼻の先で笑われてた時代より、ずっとマシである。(かも?)