昨日はクリスマス。早いところでは11月ころからクリスマスの飾り付けや店内BGMが流れるが、アメリカでは公共的な部分から徐々にクリスマスらしさが排除されているという。「メリークリスマス」の挨拶をやめて、「ハッピーホリディ」が増えているし、以前はよくわからない「ハッピークワンザ」というのもあった。そのうちこの時期は、日本のほうがクリスマス気分一色ということになるかもしれない。
日本のクリスマスは賑やかで商業主義ど真ん中のアメリカ流だ。クリスマスが舞台になった名作映画や名曲も、なじみ深い。だから本場のクリスマスが色あせていくのは少々寂しい。実際のところ、向こうのイスラム教徒やユダヤ教徒などは、クリスマスシーズンをそれほど腹立たしく思っているのだろうか?少なくとも仏教徒は気にしてないか、楽しんでるんじゃないかと思う。キリスト教やクリスマスのエッセンスの部分だけでも、残して行くのが文化というものだろうと思うのだが。
アメリカは、大統領が片手を聖書の上に置いて就任宣言を行う国で、これには実に重要な意味がある。任期中に大統領が亡くなったり、誘拐されたり、精神に異常を来した場合、副大統領がどこにいてもそこらへんから持ってきた聖書に手を置き、就任宣言を行って政治の空白を防ぐのだ。
これが独裁国家なら、トップに万一のことがあれば、熾烈な跡目争いが始まるだろう。アメリカ大統領は国民から選ばれた役割のひとつに過ぎないので、職務遂行が無理なら別の人に代わる。それだけの話である。副大統領も、二番目に権力の大きい地位というわけではなく、万一の際のスペアの意味が大きい。
つまり聖書というのは、この極めて民主的な手続きに重要な役割を果たしている。それほど大げさなものではないにしろ、クリスマスやサンタクロースだって、十分にアメリカの良い部分を象徴しているように思うのだが。

